日本を創造

目次

  「21世紀の国土つくり・地域つくり」

 1.道州制への課題(天本俊正)平成19年5月

  2.小論紹介:「道州制と地方支分部局のゆくえ」平成17年2月(A地方部局幹部)

  3.広域地方計画を読む(天本俊正)平成21年8月 (小論紹介のあとに収録)

「21世紀の国土つくり・地域つくり」の紹介

「意欲は解放する」

ニーチェの言葉である

誰にとっても思い当たることがあろう。

国土や都市にとっても同じことがいえる。

「思い」がなくて住みやすい活動的な国土、都市を期待することは出来ない。

ここに国家公務員の一員として国土づくり、都市づくりの一端に携わってきた者として、昭和40年代から平成にかけての関係論文をまとめる。


目   次
第1部 国土づくり
第1章 圏域整備の新しい方向
第2章 地方都市と農村地域の環境整備の方向
第3章 21世紀の国土への視点
第4章 四全総と文化
第2部 都市づくり
第5章 都市と緑・潤い- 政策と課題
第6章 住宅政策の長期展望
第7章 アメリカの宅地開発と都市計画行政
第8章 地価対策- バブルの開始の時
[ 付録] 著者紹介

この本に関するお問い合わせは、下記までお願い致します

(株)天本俊正・地域計画21事務所
本社:〒227-0045 神奈川県横浜市青葉区若草台7-27
TEL:045-961-1238

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以下に、発表論文等を今後収録する予定です。平成19年7月10日

天本俊正

目次

  「21世紀の国土つくり・地域つくり」

 1.道州制への課題(天本俊正)平成19年5月

  2.小論紹介:「道州制と地方支分部局のゆくえ」平成17年2月(A地方部局幹部)

  3.広域地方計画を読む(天本俊正)平成21年8月 (小論紹介のあとに収録)

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道州制への課題

 

 

 

 

 

 

 

 

平成十九年五月十一日

天本俊正(NPOジオストラテジー研究機構理事)


道州制への課題

 

目次

一 はじめに                                

二 「道州制」議論をむかえるわが国の基本情勢                

三 「地方自治」とはなにか                         

三の二 「地方分権」の危うい方向                      

四 戦後六十年の内政の行政機構の変遷とその評価               

四―二 予算の一括計上権                          

五 道州制の必要性                             

五―二 地方における国政の総合性の確保                   

六 道州制:避けるべき方向                        

七 道州制の形と実現への道                        

七―二国の財政危機を回避するための道州制について             

八 おわりに                              

 

                                 

参考図

一 「多様な広域ブロックが自立的に発展する国土」(国土交通省資料)

二 国・地方の組織の再編(国土計画協会・ワーキンググループ)

三 国―地方関係(中川八洋氏の図を一部改変)


道州制への課題

 

平成十九年五月十一日

天本俊正

(NPOジオストラテジー研究機構理事)

 

一 はじめに

 

道州制議論は混迷している。自民党はこの七月の参議院選挙までに党としての案をまとめようとしている。四月の統一地方選挙の知事候補の中で「道州制」賛成は、四分の一しかいない(日経:四月九日)。昨年秋成立した道州制特区法は、北海道だけの一部の事業をいじくったもので、名前の割には、道州制を推進する中身とはなっていない。

 

第二十八地方制度調査会の道州制答申(平成十八年二月)をはじめ公式・非公式の各界各組織・民間からの提案も数多い。マスコミに現れる論調なども限りない。混迷と見られるのは、多くの主張がいわば制度設計主義に陥っており、現実軽視の主張の競合になっているからである。わが国の政治、行政、社会の現実と歴史伝統、経緯を尊重する改善主義からの議論があってしかるべきだ。地に付いた焦点の絞れた議論はそこからうまれてくる。

 

しかし、そうはいっても世の中の道州制への「期待」は増えている。

 

道州制が必要とされる主な意見をまず、整理しておこう。一、都道府県の範囲が広域化に対応できない、二、中央省庁の縦割りの弊害、三、時代の閉塞感などがあげられる。

これだけでは、明治以来の百二十年余の「地方総合行政組織としての都道府県」の改変には、踏み切れまい。「皿」だけいくら立派なものを造っても乗せて出す「ご馳走」がなければ国民には歓迎されない。

 

本稿の結論をあらかじめ言っておけば、平成の「道州制」改革は、一部、都道府県の行政組織を残しながら、国中央の組織の軽減・重点化をはかり、ブロック行政組織を現実に動きうる組織として作るべきである、という提言である。「地方分権」のスローガン化した観念論にこだわらず「国・地方一体の道州制」のあり方の提案につなげたい。


二 「道州制」議論をむかえるわが国の基本情勢

 

道州制推進論の多くが「時代の閉塞感」を理由のひとつに挙げている。確かに、九十年代の「失われた十年」がわが国の基礎構造に及ぼしたマイナスの影響は否定しがたい。ネイスビッツは「日本の長期的低落」を予言し、レスターソローは、「九十年代の日本はグローバル経済下、新技術への適応に失敗し、これからも成功しないであろう」という。

 

「日本衰亡」の言葉さえ出る昨今、東西冷戦終結とともにわが国の諸制度も大東亜戦争前の体制へ立ち返って、わが国独自の制度の再検討があってしかるべきである。特に、大げさな言いようだが、出生力低下(人口反転増が民族課題)、民族の存亡を乗り切るには、社会の原単位、家族、地域、職域での活性要素を取り戻す必要がある。「道州制」論議はその解決策の決定打というわけではないが、論議するには頭に入れておくべきであろう。

 

国の統治機構、財政の建て直しには、道州制は大いに関係する。国家統治の地方展開のあり様、地域社会の自立、家族・地域・職域の靭帯の強化、行き過ぎた福祉の是正などに制度改善が必要であり、それが「道州制」だろう。

 

新産業振興、新インフラ整備が「道州制」の最大の任務になるが、道州政府の権力・権限は、総合的でなければならない。財政力を強大に持つ、統治情報・知識の集中的集積、起業家育成、産学協同、中小企業対策、新労働秩序、雇用増などなど広範囲でかつ集中的でなければならない。

 

例えば、教育を取り上げて考えてみよう。やっと教育基本法が改正される。喜ばしいことだが、「道州制」論議の観点から言えば、与党・中央政府が、日教組に乗っ取られた子供の教育、偏向教育を国家的観点から是正するものであり、国家的責任を教育現場のあり方に結びつけるものである。戦後の教育体制は、地方教育委員会を媒介にして、現場のいわば勝手気まま指導に任されてきた。道州制での教育の行政は、道州が中央政府の意向と現場のあり様とを時代の要請に即して結合、措置していく役割であろう。

「教育」だけか?「治安」についても国家公安委員会、地方公安員会を通じて間接的にしか警察権力をコントロールできない。民主国家の中央意思が、責任と結びついていない(幸いにして今の警察行政は、教育のような偏向は見せていないが・・)。雇用、年金、生活保護などもみなタガが緩んでいる。国民は、自らが選んだ代表による中央政府が、迅速、強力に二十一世紀の日本の社会環境にふさわしい新政策を打ち出してくれてことを切望しているのに、現在の内政統治機構は、省庁も都道府県も市町村もそれぞれの役割を適切には果していない。内政全般のあり方を見直す機会になっている。


三 「地方自治」とはなにか

 

道州制導入にあたっては「地方自治」とはなにかを振り返るべきべきである。

 

地方自治も国家統治の一環である。明治の山縣有朋は言っている。「全国の統治に必要にして官府自ら処するべきを除くのほかこれを地方に分任することを得策となす」「人民参政の思想発達するに従いこれを利用して地方の公事に練習せしめ・・・・漸く国事に任ずるの実力を養成せんとす」(市町村制理由)。

一人の人間は、国民であり都道府県民であり市町村民である。一体一個である。「地方分権」の概念を弄ぶ人たちは往々にして、国と地方は対立し、住民の味方である地方が専制的な中央を牽制すべきという誤った観念が支配している。その上に、道州制を立てようとして、おかしな理念を持ち出す。地方自治も国家統治の一環であって道州制は、その考えに立って構築されるべきである。                  (付図三参照)

 

三の二 「地方分権」の危うい方向

 

いくつか道州制議論の中には、危うい方向がみられる。ひとつは、霞ヶ関官僚の間で、各省対立を避けるため故意に道州制議論を旧自治省の行政権限の枠内に閉じ込めようとする誤った動きがある。

 

有識者の中にも「地方」を殊更に国と対立的に捕らえようとする向きもある。たとえば西尾勝氏は、第二十八次地方制度調査会二十二小委員会発言で「どう考えても国の事務であるものを道州に引き取ることはない。かえって悪いことになる」とし、地方分権推進委員会についても「地方六団体の足並みが乱れない分野に限って議論を進めている(日経記事)」といった発言がみられる。

 

しかしながら、実は、国の統治(特に内政)の実行を担うのは地方自治である。

 

道州制のタウンミーティング(平成十八年三月)で竹中平蔵総務相(当時)発言がある。「国民にとって国であろうと地方であろうと役に立つ行政をやってくれればよいのであって、国民一般が道州制においそれと関心を寄せないのは、それなりにわけがある」。

 

現実に国民大衆にとって見れば日常の公の行政は、地方自治の窓口が引き受けている。

地方自治は、国の基本の目標と方向に一致していなければならない。国の方針にやたら楯突くをもって善しとするのは、よくない政治思想と言わざるを得ない。

 

行政の分野別で、国の役割、地方の役割を区分けするのは、誤解を招く。例えば、保健衛生は、地方自治といっても国際的な感染病の対応は、国中央が取り組むべきだし、外交こそ国中央といっても近隣諸国等との自治体外交は、自治体首長の最も熱心な分野だし、国防でさえ地方自治体の下支えがなければ国土防衛も実が挙がらない。

 

機能から判断すべきで、全国に及ぶ事柄、国の基本にかかわること、国の総力を結集しなければならないかどうかの最終的な判断などは、国・中央政府の役割、一方、地方・地域の実情に即して行政を実施するのは地方の役割である。無理に国と地方の役割分担を分野別に分けようとして迷路に迷い込んでいる道州制論議が、多い。

 

平成十三年一月の省庁再編成のときに「社会保険事務所」「都道府県労働局」が地方事務官制度の解消の名の下に都道府県の組織から切り離されたのは、国民=住民にとって逆行の行政改革であった。いわゆる「地方分権」の観点から見ても後退している。

 

厚生労働行政の第一線を地方自治が取り扱わないというのでは、地方自治そのものの存在価値がない。二十一世紀に入ってわが国の最大の課題は、人口反転増で民族の存亡を救うことである。「親が子供を育て子供が親の面倒を見る」という家族扶養の絆を国、特に社会保障、労働慣行が切り刻んでしまったのが、昨今の諸悪の根源である。政府は、中央・地方を通じて政策を見直さなければならない。その運用の第一線の権限・政策手段を地方自治が失ってしまって、日本をリードしていくことはできない。道州制を制度化するときに、この点をおろそかにしては歴史的な意味がない。国・地方一体の道州制が、不可避の最大の理由は、厚生労働行政にあるといって過言でない。

 


 

四 戦後六十年の内政の行政機構の変遷とその評価

 

戦後の内政組織は大きく変わった。内務省の解体、知事公選、地方支分部局の設置、公安委員会・教育委員会などの設置、国家地方警察の改変などが矢継ぎ早に制度として整えられた。

 

一方、戦後復興から国土開発にむけて大都市圏、地方圏のブロック開発行政が組織された。首都圏整備委員会、近畿圏整備本部、中部圏開発整備本部、北海道開発庁、沖縄開発庁、東北・北陸・中国・四国・九州各地方開発委員会がそうであり、このうち地方開発委員会を除いては国務大臣を長に戴き専任の事務当局が独立の行政機関として存在していた。昭和四十九年の国土庁発足で独立機関でなくなった。

 

これらの動きは道州制を考える上で避けて通れない視点である。新産業振興、新インフラ整備が「道州制」の最大の任務になるならば、このようなブロック機関の評価がまず議論の前提に出てしかるべきである。田中角栄内閣時代、省庁再編でこれらの機関は省庁内の一部局に閉じ込められてきているが、道州制を制度化するにあたって振り返ってみるべきである。第二十八次地方制度調査会が道州制を俎上に載せながらこのことに触れていないのは、各省縦割り弊害の反映であり、首相諮問機関の名前に悖る。

 

内務省解体、知事公選は、道州制制定の重要な考慮事項だが、このことは後で触れるとして首都圏・北海道開発などの問題点になお、触れておこう。

 

四―二 予算の一括計上権

 

首都圏整備委員会、北海道開発庁などがその権限の実効を確保する上で、悲願だったのは予算の一括計上権である。事業ごとの予算を決定することができるこの権限は、各省の強い抵抗にあい実現することができなかった。計画策定権だけでは、力は出てこない。

 

道州制は、本稿のひとつの想定の形としては、国の行政の観点から見れば、中央の「企画」と道州での「実施」分離が原則となる。地方サイドから見れば、おそらく現都道府県の「企画」が吸い上げられ、「実施」が残存都道府県(道州の支店的機能)となる。この際、予算一括計上権が、中央から道州に下りるのは当然である。ただ、「企画」「実施」ができるだけ一体的であるのは現実の要求であるので、相互の行きかいは有機的であるべき。

 

「道州制」の限らず行政の組織改変は、それぞれの国柄、歴史と伝統、国民性、習俗文化などに立脚して改善を考えて、考えていくべきである。わが国の地方ブロックが世界のどこかの国規模に匹敵するとか、どの国のあの制度はうまくいっているとかの俗物的議論をあまりしていけない。しかしひとつ、予算の一括計上で参考にしていいだろう制度としてフランスの制度をあげる。フランス各州は、中長期戦略プロジェクトを指定してその実施の予算については、年度を越えて国中央の保証を得ることができるものとしている(計画契約制度という)。

 

*フランスの計画契約制度=州地方長官(国側)と州議会議長(州側・住民側)との合意で地域整備事業のプロジェクトを決定し、これについては、中央政府との間の計画契約となり実施段階の予算が年度を越えて盛り込まれる。


五 道州制の必要性

 

道州制論議は、関係する各方面の思惑が先行して本当にどのような制度改善が必要なのかわからなくなっている。いわば「迷走する道州制」の状態だということは本稿の最初から申し上げてきた。これを打開するには、「真の必要性」を見極めなければならない。

 

明治維新以来の近代日本という長期の視点から見れば、内務省解体・知事公選が、道州制問題のポイントである。大東亜戦争以前は、内務省によって国家としての内政は、ことの善し悪しは別として、全国・地方で柱が通っていた。内務省解体によって地方総合行政能力がなくなり、一方、知事公選は都道府県のもつ性格を変えた。各省は、それぞれに地方支分部局を設置し自らの政策を全国に展開し地方に浸透させていくための手段とした。戦前、地方支分部局は、皆無だった。この十年、二十年に都道府県は、市町村合併、政令市進展から仕事の範囲が狭くなってきているし、産業振興などの意欲的な仕事をするには狭い県域が邪魔だ。平成七年以来の新地方自治法体系は、機関委任事務の廃止などで都道府県の権限を強めているように見えるが、その実、年金行政、労働行政などで手段を国に返上しているなど、むしろ「分権」は弱くなる方に逆行している。

 

知事公選は、国民の政治参加の面ではプラスに定着している。おうおうにしてポピュリズム的な知事の出現は、一見華やかに見えても長い期間続くとプロフェッショナル性の不足が地方地域の衰退傾向を招いている。近畿などその典型であろう。

 

一方、中央・霞ヶ関の各省庁も内閣府による総合調整はあるとしても、肝心の実施機関としての地方は、それぞれの地方支分部局がばらばらに動き、現場での総合性がなく、フィードバックしての中央政策立案にも生かされない。各省と都道府県の連携も「地方分権」により弱まっている。

 

五―二 地方における国政の総合性の確保

 

情報化時代にわが国が突入している。工業主力の時代の国政とは違うスタイルの行政組織が必要になっている。ピラミッド型の組織からネットワーク型、もしくはホロン型の組織に国中央も地方行政組織も組み替えていかねばならない。情報は、国の首相から地方自治体の現場第一線まで、即時に行きかうような時代になっている。上から指令が流れ、現場から報告が上がるような悠長な組織では国際競争に勝てる国家といえまい。それぞれの組織固体が役割に応じてすばやく間違いない判断ができるべきだ。

 

従来の土木建築などを主力とした公共事業は、長期計画の策定がとりやめになり社会資本重点計画に姿を変えた。現場に近い地方ブロック単位で、もう一度、地方地域の必要な発展基盤が何であるか、総合的に見極める体制が必要である。それが道州制だ。

 

道州制の役割は、新産業振興と新発展基盤の整備である。福祉、労働規範などの民生の見直しも道州制にキーポイントの立場を与える。「地方分権」でお題目のように実質的に都道府県の合併に過ぎないようなおざなりの道州制にしてはいけない。

 

「第二の公共事業」としての科学・教育・文化の広域事業を道州政府は集中的に取り組まなければならない。旧来の事業の中からは、航空・都市・環境の事業だ。象徴的に言えば、大学・研究機関と空港・空路の整備が道州の仕事の中核になろう。あわせて都道府県の中小企業政策、雇用拡大などの政策の総集を行わなければならない(一定の都道府県の残存があるとして)

 


六 道州制:避けるべき方向

 

道州制は「行政」の地方機関のあり方に関するものであって、国の三権分立の立法、行政、司法の体制は変わらない。わが国の歴史・伝統、成り立ちからいってアメリカのような連邦制をとることはない。わが国は、基本的にひとつの民族、ひとつの言葉の統一国家であって、連邦制をとる必要性はまったくない。立法に関しては、国会が唯一の立法機関であり、行政は首相が与党政党から選出され、司法は最高裁判所を頂点とする全国組織である。統一国家ということから地方自治も国家統治の一環であることは先に見たとおりである。

 

国と地方の対立を煽る「地方分権」は許されない。地方の権限拡大によく使われる「補完性の原理」は、そもそもヨーロッパで教会と世俗との間で権利の調整に用いられた考え方でこの道州制論議に持ち出すことは不適切だ。この高度情報化時代に国民の日日の生活の基本を決めるのは国家レベルでの対応であって、世界が一体化している時代に国と地方が権限争いをしている余裕は、先進国たろうとする限りありえない。道州制が「国家解体」につながる様なニュワンスを持つとしたらとんでもないことだ。

 

道州制において国と地方は一体であるべきで、その意味で地方自治の一層制か、二層制かという議論も、あまり重要性を持たない。しかし地方自治の基本は、市町村であり、その首長公選と議会選出が地方自治の基本という意味では、一層制というべきである。

 

地方自治が、都道府県と市町村で重複した施策をとるのは行政の無駄である。政令市の制度は廃止し、自立できない市町村については連合等の組織を組むべきである。市町村が担う地方自治の指導監督は、道州政府が当然、担当することになる。市町村が基本であるとする地方自治の制度の企画は、国の総務省が担当する。しかし道州政府の総合調整行政そのものは関係各省の共管になる。むしろ内閣府に直属する道州政府という形のほうが適切か。在来の都道府県知事、都道府県議会については道州政府を形作る内部組織となろう。道州長官は、国から国務大臣が出るのが本筋であると考える。

 

国の政治・法制度の硬直性を補う制度として「特区」制度が採られてきている。大きすぎる・(こま)かすぎる・硬直的な中央集権の弊害は、改善されなければならない。政策の実施はできる限り現場に近いところの責任に任すべきである。道州制は、その意味で国の中央の実施面の権限を大幅に引き受けて、さらに日常的な業務については自治としての市町村を信頼する。こういう体制をとることは、わが国が世界経済の速いテンポに的確に対応するために早急に取り組むべきこと。それを一部の権限争いでしかない「地方分権」で、都道府県廃止・合併で、形のみ整えようとして、実態的に何の国民へのメリットを示せないまま強行するのは、よくない。

 

道州政府の長官の公選の問題、都道府県知事の公選、都道府県議会、道州議会の設置の問題については、民主主義のルールに則り、効率・迅速・正確・生活向上などの効果を見極めながら現実的に対応すべきである。やたら「住民参加」「直接民主主義」を標榜する動きの中で道州制を考えるのは賢い方策とは思えない。


七 道州制の形と実現への道

 

国の機関または中間機関としての道州制は、全国六ないし十程度の地方ブロックごとに地方総合調整行政を担当する機関としての道州政府を新たに設置することによって実現する。国の各省庁の改変、都道府県の扱いについては、段階的現実的に行う。都道府県の区域への百二十年余にわたる国民の親しみ、こだわりに鑑み、知事公選の継続ともに、残存もありうるとする(自然に都道府県合併の機運が出ればそれにこしたことはない)

 

本稿では(財)国土計画協会・道州制研究ワーキンググループ(代表:山東良文氏)の提案する*ブロック地域協議会(大臣・知事・政令市長で構成)*道州選出国会議員の優先議決権の行使(道州議会の役割)*一層制の地方自治?国と都道府県から新設道州への権限の段階的委譲*弱小市町村の連合体という、道州制提案を原則的に支持する。(平成十八年二月発表)                           (付図二参照)

 

ただ、個人的には、道州政府は、同上グループが過渡的とした「ブロック地域協議会」の制度を行政委員会のように本格的な道州制の制度として確立する方がよいと思う。都道府県は、知事が参議院議員を兼ねるなどの国政とのつながりの改変はあっても、道州政府(協議体行政)の構成員となって道州全体の連帯責任を負うなどの形が、むしろ現実的であろう。明治以来百二十年にわたって国民に馴染んだ行政単位をむげに廃止することはない。アメリカで東部十三州がいまだにカリフォルニアやテキサスなどの大きな州と交わって存続し機能していることを考えれば、わが国も無理をすることはない。

 

公共投資の計画の体系は、この数年で大きく変わってきた。各施設ごとの全国法定の長期計画は廃止され社会資本重点計画となり、国土形成計画が全国・地方で策定されるようになった。首都圏整備計画、近畿圏整備計画、北海道開発計画等は依然、継続しているが道州制の制度化(安倍内閣としては三年でビジョン、そのあと実現)に伴ってこれらの開発計画は、原則、道州政府が策定するものとすべきである。予算の一括計上権も道州政府に与えられるべきである。

 

道州の区域割りについては、首都圏、近畿圏、中部圏、北海道、沖縄、東北、北陸、中国、四国、九州の十道州が、戦後の大都市圏行政、地方開発行政などの経緯を十分に踏まえたものとして望ましいだろう。しかし、北海道・東北の合体、中部・北陸の合体、中四国、九州・沖縄の一体化での六道州も検討に値すると考える(北方領土・沖縄は特別担当相が別途あろう)。実は、このようなブロックわけは、国土交通省国土審議会の国土形成計画中間報告で、「多様な広域ブロックが自立的に発展する国土」として提唱されている。霞ヶ関の各省仕切りの中で、必ずしも国土形成計画と道州制は軌を一にするものでないとの暗黙の了解があってか、同じ土俵の上で議論されることが少ない。国民から見れば、広域経済圏の動きに則って道州区割りを考えるのは、当然だと思うであろう。                    

 

七―二 国の財政危機を回避するための道州制について

 

道州制は、国の形を変える変革である。国の最大の課題のひとつである「財政危機」を解決する手段も提供する制度改善であることが望まれる。このため、国の所有する公共施設、債権はそれぞれ地方ブロックごとに分割して道州政府に管理させるとともに国の債務についても原則、道州政府が引き継ぐこととする。とくに資産・資金での比重が大きい年金については、道州政府が管理をすることとすべきである。

 

これにより中央政府としての債権債務関係は、簡明なものとなり、国際関係、特にアジア諸国との間の国家関係で積極的な財政協力・提携を行うことが出る。欧州連合諸国が財政赤字を一定範囲に抑制するように求めている「安定成長協定」はアジア経済圏が成立していくときにも同様に各国の規範となり、わが国も中央政府の財政的健全性を取り戻すためには、道州制は、救国の制度改正としての役割も引き受けるべきである。

 

道州政府は、日本銀行との独自の交渉協議が行える地位を与えられ、道州政府の債券を独自に発行することができるものとする。つまり、道州制が確立すれば、累積の赤字国債

は主として道州連合体で、地域間競争をしつつ解消していくことになる。この道州に日銀との交渉をできる立場を与える、あるいは日銀そのものを連邦準備金制度のように分割しては、という着想は、ある高名経済学者のものだが、筆者は、公に議論する価値があるとおもう。首都移転に絡んで大阪に日銀を移転するという案も昔、でた。またこの際、NHKを道州分割する案も、イギリスでBBC分割が検討されるのと同じで、道州制でも検討に値する。


八 おわりに

 

道州制を導入するからには、国全体の活性化(人口反転増、ソフト産業振興など)につながる構想でなければならない。ただただ「地方分権」の声に乗って行われる道州制では、内容もつまらないが、そもそも国民の理解が得られず実現しないだろう。

本稿では、「地方分権」を錦の味方に実質的に都道府県の合併による道州制を主張する向きが多いのに対し、旧首都圏整備委員会のような地方ブロック行政委員会形式の道州制を想定しての違った趣の提案を底流に置く主張をまとめてみたつもりである地方分権はもう古い。文明の共生する世界秩序の形成期には、国としてのまとまりのある内政のスピーディな展開が肝要なのである。

必ずしもポイントを得ている本稿とはいえないが、今後、多様な議論が各段階で国民的になされることを期待している。

 

(以上)

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小論紹介:「道州制と地方支分部局のゆくえ」

ある省庁地方局幹部A氏の小論を預かり、匿名を条件に掲載の許しを得ました。平成17年2月の作成です。

「道州制構想の実現のために」

(急ぎ俎上に乗せるべき国の出先機関の統合)

 市町村合併の動きがピークを迎え、基礎的自治体の規模・能力の拡充に伴う次の改革として、道州制論が熱を帯びてきている。議論のベースとなっているのが、第27次地方制度調査会答申(平成15年11月)であり、「国の役割は国際社会における国家としての存続に関する事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動に関する事務」を中心とし、「全国的な規模もしくは視点に立って行なわなければならない施策及び事業の実施」についてはその大半を、都道府県を廃止して設置する広域自治体としての道州に移譲し、この結果、圏域全体の視点にたった産業振興、雇用、国土保全、広域防災、環境保全、広域的交通ネットワークの整備等の事務・事業は道州が担うというのがその骨子である。

 外交、防衛などの業務が複雑化し、難しさを加える中で、公共事業等の補助金の配分などの業務の優先度は相対的には低く、中央政府の役割を重点化すべきことに異論は少ないであろう。しかし、産業振興以下上記で列記された国の地方支分部局が担っている権限を含め、国の役割を広く広域自治体としての道州に移譲することについては、国家の再編・改造を意味するものであり、連邦制を含む憲法改正問題を内包する地方制度の改革に収まらない課題にあるにもかかわらず、地方制度調査会答申は、国の権限の受け皿を広域自治体としての道州制に限定してしまったことが、元々難しい道州制論議の混迷に拍車を掛ける原因となっている。

このような無理とも思える論理構成になったのは、国家の再編・改造の観点から、国側が主体的に検討すべき国の地方支分部局の統合問題が俎上に上がらず、具体の見通しが立っていないためである。

 失われた10年の閉塞状況の打開のために、圏域行政の縦割り是正が多くの関係者から指摘されて久しい今日、国は、5年程度の期間を目途に、北海道、九州等の圏域を単位に、国の地方支分部局を統合することを決定し、ここに圏域レベルで処理するにふさわしい権限を再配分する必要がある。いわば、国の機関としての道州の創設である。総理はすでに今国会の所信質疑において、北海道における道州制特区構想を国として支援すると答弁している。その特区構想のなかには、道州制実現のステップとしての国の地方支分部局の統合が掲げられている。そこで、現段階でこれを全国的に一歩進め、国自らが主体的に地方支分部局の統合を打ち出すのである。

 一方、都道府県は、今後5年程度の間に、住民たちが自分たちの政府をつくるのだという住民自治の実現に絶えず軸足を置きながら、市町村合併の進展にあわせて広域行政需要への対応能力を磨き、広域連合の活用、都道府県の合併の推進などの実績を積み上げることになろう。

 こうした中で、さらに5年程度の期間内に、国と地方双方の取組状況、業務内容を評価した上、国の機関として道州を存続させるのか、統合された国の地方支分部局をさらに広域自治体としての道州に吸収するのか、統合された国の地方支分部局と広域自治体としての道州との両面の性格を持った新しい形の道州を設置するのかが選択されるべきである。

 いずれにしても、道州は、国際化時代に世界に開かれた圏域の総合行政主体として、地域間競争に勝ちぬき、選択と集中による創造的で特色ある地域活性化を実現するための手段である。道州の組織の性格、携帯については、あらかじめ決めておく必要はなく、国側、地方側の双方がパフォーマンスに優れたシステムの実現に向け努力し、それらを評価する熟度が高まった段階で具体的な決定をしていけばよいのである。

(以上)

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広域地方計画 

広域地方計画を読む

平成21年9月15日

(株)天本俊正・地域計画21事務所

天本俊正

 

1.概要

 

 国土形成計画法(平17)に基づく国土形成計画(全国計画)が平成20年7月、閣議決定されたのを受け、地方ごとに広域地方計画の策定がなされてきた。この平成21年8月4日に国土交通大臣の決定を見た。8地方(北海道、沖縄は別途)の計画を通読して一応の評価を試みた。

 なお、第2次社会資本重点計画(平成20-24年度)は、平成21年3月31日に閣議決定をみており、各施設の整備目標(水準)を定めている。

 

2.全国計画との関係

 

 全国計画は「多様な広域ブロックの自立的発展、美しく暮らしやすい国土」を国土像とし、広域地方計画はこれをうけ、東アジアとの交流、都市圏の整備、産業クラスター、農商工連携、環境、「新しい公」などを盛り込んでいる。概して、各地方の独自性は薄く、予算の裏づけがないので、残念ながら抽象的お題目が多い。要求型より、金太郎飴型でお付き合い。それでも各県、地方経済団体、地方支分部局などの意気込みが感じられる面も多く見受けられる。

 

3.各地方計画を読む

 

1)東北

 

 *新潟を含む6県、仙台が地方中枢都市として影が薄い。新潟が政令市で、中枢都市として並ぶが、東北全体に力を持てるか?新潟=会津=郡山=いわき、もしくは新潟=福島=仙台の連携ができれば可能であろう。

 *原発拠点(新潟・福島、むつ)が地域開発拠点として意味をもつ。核燃料もある。低炭素で「環境先進圏域」となる。

 *青函新幹線を打ち出せていない。格子状骨格高速道路ももう少し強く促進を書くべき。

 

2)関東

 

 *併行して存在する首都圏整備計画(平11-27)がハード中心なのに、今度はソフト中心。国際ビジネス業務基盤、大都市リノベーション、蜘蛛の巣構造プロジェクトなどが打ち出されている。業務核都市構想とは違う。首都圏整備計画の今後の扱いは課題である。

 *民主政権交代でいえば、八つ場ダムは堂々と大臣決定として主張されている。高速無料化は、東北、九州などの地方の高速道路の建設・利用の促進につながるが、必要性の高い首都圏の環状高速道路は、有料・特急料金で建設すべき。    

 *全国から見れば必要な東京一極構造の是正への関心が全然ない。京都遷都、機能分散になにか言い出すべき。4200万人は大都市圏過ぎる。

 *中央新幹線リニア、横田基地民間空港化は、調査として書かれている。オリンピック招致については、中立。

 *NBC(核・生物・化学兵器)攻撃に備えたテロ対策に言及しているのに驚く。

 *外国人労働者対策=北関東で多文化共生社会をとりあげている(中部圏も)。国土計画の新しい注目すべき側面である。

 

3)中部 

 

*今、世界の冠たるトヨタ、スズキのお膝元で「自動車」のご威光か、意気あがる。「日本のロータリー」から「世界のまんなかへ」という。上滑りの計画内容の感がある。

*多文化共生圏=外国人住民の増加を予想、先進的に対応しようとしていて評価すべきである。

*地域クラスターのオンパレード、ものづくり、医療,ナノテク、知的・・・。にぎやかである。

*中部圏計画(平12-おおむね27)との整合をとる必要がある。

 

4)北陸  

 

*石川・富山・福井で小さいブロックだが、「進取の気性」の土地、と誇り高い。歴史、文化、自然、生活環境を誇りに環日本海中枢を目指す。

*出生率が高い、共稼ぎ率が高い。人口減を防ぐ日本のモデル地域振興だ。「ふくい3人子応援プロジェクト」など。

*原発集中立地もあり。

*連接都市圏と整備し、世界の技術・理論の人材を集めたいとしている。

*日本海の海域・空域の安全確保、保安強化をとりあげている。軍事的意味があり、それをこの計画で意識しているかどうか疑問だが、大事な視点である。 

 

5)近畿  

 

*「文化首都圏」を主唱はいい。しかし、経済・生活は首都圏のバックアップでは、2眼レフで列島リードした関西としてはさびしい。

*関空強化をいうが、伊丹廃港は言い出す勇気なし。

*次世代産業の育成ー各地の産業クラスター、スーパーコンピュター(神戸)が頼りか?

*「日本最大のスポーツ施設」とは?サッカーか、具体案を知りたい。

*近畿圏計画(平12-おおむね27)との整合をとる必要がある。

 

 

 

6)中国

 

 *広島が地方中枢都市といえず。中心がない。

 *中四国一体のブロック形成でないと本四架橋、瀬戸内海の地域資源が生かされない。中心性も出てこない。

 

7)四国 

 

*四国4圏だけで広域経済圏は無理。プロジェクトは「お遍路」「野球リーグ」しかでてこない。

*メタンハイドレートの開発を書くべき(首都圏広域計画には「研究」と表現あり)

 

8)九州 

 

 *中国・韓国からの圧力をもろに受けているが、自動車・半導体の一層の発展以外に智慧が浮かびかねている。

 *東アジアへの門口といいながら福岡空港の強化一つ言い出せない。

 *一人当たり所得も経済力も低下傾向から抜け出せず、相変わらずの各地の産業クラスターしかいいだせない。

 *コンパクト都市もいいが、釜山、下関、広島、松山などを含む九州諸都市ネットワークで3000万人大都市圏を形成しない限り関東大都市圏の所得水準を上回る経済圏はできない。

 

4.広域地方計画の総括、そのほか

 

4−1 全国計画で書いて広域地方計画に採用されている概念で理解がしにくいものを列挙すると

 *2地域居住         *山から海岸までの土砂管理     *「新たな公」

 *低炭素社会        *志ある多様な主体      *BCP(事業継続計画)  

 *漂流・漂着ごみ  *農−6次産業

 

4−2 大きく計画自体の意義を考えてみると、今後は、「計画」という枠のなかでなく、プロジェクトを個別に決める、その都度、時流にあわせ「方針」をきめていく、のが行政の流れに即している。なぜか。人口減、経済停滞は、国家としては簡単には受け入れがたいことであって、計画のフレームは成り立たず、フレームを否定していける戦略プロジェクトを語って「計画」とすべきである。

 北陸計画が、人口減を容認しない、国民の気概に期待、を打ち出している点で、質的に全国計画を上回っている。北陸計画のトーンで全国計画を書き直すべきである。

 

4−3 この広域計画は、数年の年月と通算すれば万人にも及ぶ多くの人間が関与して、議論しまとめたものである。その効果は、じわじわゆっくりと日本の社会全体を動かす力となっていこう。

(以上)

 

 

 

 

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