平成20年12月20日

最新更新;平成22年6月4日

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第1部

平成20年12月以降のNPOジオストラテジー研究機構の研究会での発表論文を収録しました。

 

目次

1.社会資本整備の思想と国づくり(山本基)社会資本整備の思想と国づくり(山本基)

2.離島の過疎問題(芦田充)離島の過疎問題(芦田充)

3.電柱地中化:追捕(平成21年6月)電柱地中化:追捕(平成21年6月)

4.効率性の追求と社会全体の利益:水文観測員の事例(山本基:平成21年9月)社会(山本基:平成21年9月)

5.民主党政権下の国交省関連政策(芦田充:平成21年9月)民主党政権下の国交省関連政策(芦田充:平成21年9月)

6.日本人が学ぶべきこと(山本基:平成21年12月)日本人が学ぶべきこと(山本基:平成21年12月)

7.国力の発展をめざす社会資本整備(山本基:平成22年5月)国力の発展をめざす社会資本整備(山本基:平成22年5月

 


第2部=平成11年から14年までの研究会の記録を収録しました。

市ヶ谷研究会

活動概要報告

10回;戦前の情報戦略とアジア研究=大陸政策の情報戦
第9回;同文書院の調査旅行と中国(平成14年5月31日)講師;藤田佳久氏
第8回;アジアと「吉田の会」(平成14年2月14日)講師;水内俊雄氏

第7回;中東情勢と新地政学(平成13年6月14日)講師;滝川義人氏
第6回;幻の日独伊3国同盟(平成13年2月13日)講師;手塚和彰氏
第5回;今後の進め方(地政学から見た日本の役割―その2)(平成121026日)講師;竹内啓一氏
第4回;地政学から見た日本の役割(平成12年6月28日)講師;竹内啓一氏
第3回;環境問題と地政学(平成12年2月3日)講師;米本昌平氏
第2回;アジアとその地理(平成11年11月26日)講師;岩田修二氏
第1回;地政学の現況(平成11年10月7日)講師;高木彰彦氏

 

平成1476

天本俊正

会議要旨は天本俊正が個人として纏めたもので内容の責任は全て天本にあります)

 


10回;戦前の情報戦略とアジア研究=大陸政策の情報戦

平成15319

講師;中生勝美氏

1.戦前の特務機関 1)大陸政策 2)内蒙古の特務機関 3)ラマ教の利用 4)イスラム工作 5)新民会

2.GHQによるアジア情報活動:戦後の日本統治

 

討議

 

 大阪市立大学の中生勝美・助教授をお呼びして戦前の大陸における日本の特務機関の活動を中心にお話をお聞きした。戦前、日本軍の特務機関で働いていた生存者の聞き取り調査を行い、現地にも赴かれて研究をまとめつつあるということでした。

 満州・蒙古・新疆における日本軍の情報網は、驚くほど充実していた。例えば、工作費は、国家予算でなくアヘン栽培をして捻出し、天津、上海などを経由して使っていた。内蒙古の特務機関としては、蒙古善隣協会、アパカ会、大蒙公司などがあり民生、通商、宗教活動などの中で動いていた。イスラム工作も熱心であった。満州には新疆までつながる人脈がある。蒙古は、民族対立に敏感で、日本軍はそのどちらに味方すべきか、などをよく調べた。漢民族に抑圧されている民族は、日本軍サイドに協力的であった。東トルキスタン共和国(19441946)には、関東軍が力を入れて工作していた。特務機関の人たちは国籍を捨てて活動していた。

戦後、GHQは、日本の満蒙資料を根こそぎ接収した。アメリカの内陸アジア工作の動向は秘匿されている。

 

討議になって、日本の中東研究もレベルは高い。あわせてアジアの情報を、大学のみならず研究機関は、日本の中小企業の対外進出にビジネスとして売り込んでいくことを考える段階に来ている。

 

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9回;同文書院の調査旅行と中国

平成14531

講師;藤田佳久氏

1.東亜同文書院の設立

2.書院生による大調査旅行

3.調査旅行から見た中国の地域事情・軍閥の動き

4.中国の「失われた50年」、中国の現在を見る

 

討議

 

 愛知大学の藤田佳久教授をお呼びして戦前の上海・東亜同文書院、特に書院生による調査旅行の成果についてお話しをお聞きした。岸田吟香、荒尾精、近衛篤麿(霞山)などの努力を経て1901年、上海に東亜同文書院が設立された。日本国内各県から2名の選抜された学生に、貿易実務など今で言うビジネススクールとしての授業を教えた(戦後,スパイ学校などとデマに貶められた)。5000人の学生が、700コース(2−3人の組み)で中国大陸,東北部,ベトナム、台湾等を広く卒業旅行としての約3ヶ月の調査旅行を試みた(1907~1942)。その集大成は、20世紀前半の世界最大の地域調査とも言える。「目で確認したことしか書かない(聞いたことは、書かない)」を原理に農山村の実情を事細かに記録に残した。各地で歓迎され、軍閥にも素直に受け入れられた。分析すれば,中国大陸が実はいくつもの圏域に分かれていた。「省別全誌」は中国人でさえ作らなかったものだ。中国人同士の争いのむごさもわかる。

 改革解放で1980年代から中国は,近代化に踏み出したが、書院生が描いた1930年代の資本主義の勃興の様子が、50年後のスタートにみられる。

 討議になって、書院生の見方は、国内の締め付けから離れていてかえって自由な校風に染まっていたのだ。現在,新橿ウイグル地区などでは、漢民族による同化作戦が強行されており、自由な研究ができない。黄砂のダストにまみれた社会に調査のメスがほしいもの

 


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第8回;アジアと「吉田の会」

平成14214

講師;水内俊雄氏

1.アジア;ヨーロッパとのねじれの接点=トルコ

2.旧満州ほか大陸への戦前の地理学的関心

3.「総力戦体制」

4.吉田の会について

 

討議

 

 大阪市立大学文学部の水内俊雄助教授をお招きして、最近、戦前戦中の皇戦地誌学の文献を発見されたことを中心に日本の地政学再建の方向をおうかがいした。

 アジアとは、なにか。地政学の興味の対象としてアジアを意識させられる国の一つとしてトルコがある。旧満州も日本としては実験的政策を行ったところで、戦前日本の構造を知る手立てとなる。朝鮮総督府が、軋轢が強く夢を語ることがないのに対し、旧満州は、関東州=大連などには地理学的な観点からも意味のあることが多い。戦後、地理学教室には大連関係の資料が秘匿され、タブーからまだ解放されていない。

 総力戦体制に入り1934−1942の10年足らずの間に重化学工業化が列島中に進み、地理学として興味深い。その中で、陸軍将校の指導の下、京都大学の若い学究者を集め、「吉田の会」が昭和14年から20年にかけて、秘密裏に開かれていた。今西錦司など京都学派が、探検調査に力を入れていたのに対し、小牧実繁を中心とする地政学は、神懸り的な雰囲気の中で戦略への提言を纏めていった。戦後、「弾圧」で学派が中断している。

 

 討議に入り、吉田の会について、フィールドを大事にした日本陸軍が、抽象的な戦略論に終始したとは考えられない、との強い意見が出された。日本の大東亜戦争に協力した中国、韓国の人達は、案外に素直な見方をしているところがあり研究の余地がある。最後に日本の現状での情報機密収集体制の立ち遅れを確認した。「日本は外交をやっていない。」

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7;中東情勢と新地政学

平成13年6月14日

 

講師;滝川義人氏

1.中東問題について

1−1 中東の気候と風土

1‐2 中東の水問題

1−3 中東紛争の本質

1−4 ユダヤ人と日本人

2.大東亜戦争の評価と地政学

2−1 絶対国防圏のあやうさ

2−2 船団輸送の無防備さ

3.これからの地政学

 

討議

 

 「地政学事典」を翻訳紹介され、イスラエル大使館勤務の滝川義人氏をお呼びし、「中東の地政学的展望」について話しを聞いた。ゴラン高原などを含む中東の地域は、乾燥地帯で、わずかに雨期が水分を補給している。人間も一日に一定量以上の水を強制的に取らせないと生きていけない。本格的な戦闘は起こりようもなく、お互いに消耗すれば停戦になる。ゴラン高原に日本の自衛隊が、平和維持活動をしているが、実質的には意味はない。

日本の野党勢力がよくいう「話し合いで解決しろ」とは、非現実的なこと。消耗すればウヤムヤのうちに戦闘停止になるのが常だ。問題は、水質汚染も含め水不足の深刻さである。

 日本や欧米に比べて家族制度が崩れていないことが、宗教対立、民族対立の中でも、破局にならない状況を保っている。

 大東亜戦争の評価について、例えばルソン決戦をレイテ決戦に切りかえるなど、軍上層部、作戦部の無能、でたらめさは、今からみても許しがたい。敗戦前8ヶ月は、無益な戦闘をしたのでないか。船団輸送の詳細を見ても、作戦の無能さはあきれるばかり。日本国民も戦争をやる覚悟がなく自然災害に遭遇するような感覚であった。これからの地政学については、日本は日本らしい自己主張が必要である。

 討議になって、日本のエリートが駄目で敗戦に及んだが、今の平成の世相は、またそれに近くなっている。官僚、大企業の組織の病的弊害は、大東亜戦争の敗北に通ずるものがある。名誉とか尚武の気風がなくなっている。イスラエルは、昔は商人の国といわれたが、今は、必要なら命を投げ出す国民の気概が、尚武の国としている。日本はその逆となった。

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6;幻の日独伊3国同盟

平成13年2月13日

講師;手塚和彰氏

1.日独関係の根底にあったもの

2.日独防共協定成立の不可思議さ

3.第2次世界大戦の再検討

4.日独伊3国同盟はなぜ幻か

討議

 

 千葉大学教授の手塚和彰氏をお呼びし、「幻の3国同盟」を中心に大東亜戦争の地政学的な評価の話しを聞いた。ベルリンの壁の崩壊のあと、解禁された新資料の一つとしてカールハイツ(ドイツ会社)文書があり、これをみると日独の同盟がいかにも根拠の薄いものであった。ドイツの電撃戦勝利を日本は評価したが、スターリンの対独戦線の決意は早かった。ルーズベルトは、日本戦は、なすがまま(日本の緒戦の進撃をゆるしていた)、にして2面作戦は避けた。

 ドイツの勝利を前提にしてドイツの重工業を満州に入れる、としたが、非現実的な計画であった。

 議論になって、3国同盟があって日本もドイツも、やってはならぬ2正面作戦をとり、敗北もやむをえなかった。情報は、外交も新聞も弱かった。ブッシュ新政権は、アミテージがいうところ、日米同盟は、あるいはなくなることも考慮に入れている。日本の外交能力がないのは今も変わりない。危ういことだ。

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5;今後の進め方(地政学から見た日本の役割―その2)

平成121026

講師;竹内啓一氏

自由討論

 

 前回に引き続き駒澤大学教授・一つ橋大名誉教授の竹内啓一氏をお呼びして地政学から見た日本の役割について、自由討議をすることにした。

 グロバリゼーションを地政学的にどう捕らえるか。日本は、「侵略者のイメージ」を植え付けられているが、日本の「付き合い方」が下手なためも多い。欧米の植民地主義の方が役者が上だった。ドイツは、ナチとドイツを上手く分けたが、日本はそういう点を区別させることができなかった。

 日本の考え方は、吉田松蔭の「地を離れて人はなし」というにもかかわらず.北進論、南進論とも理論的支柱がなかった。「統帥権」も福沢諭吉のときは、むしろ政治の外に軍を置くためにわざわざ考えたのになし崩しになった。日本の敗戦に対する自国なりの責任の追及がいる。

 憲法を50年間も改正せず、本音と建前のひずみが大きくなっている。対外関係も考えなおすべき。中国と付き合ってなんの得が有るか。いや、2000年の中国・韓国との共通の文化を無視できない。中国の新人類には、日本にない国際感覚があり、中国にも老人に支配されない国家の出現が期待できる。日本はアメリカに頼るだけでなく、国際労働力の移入も含め、広く考えたがいい。

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第4回;地政学から見た日本の役割(平成12年6月28日)

講師;竹内啓一氏

地政学から見た日本の役割:その歴史的展望

1.歴史的展望

1)第2次大戦末までの「日本地政学」の評価

2)「日本地政学」にあったマルチカルチュアリズムとその限界

2 新しい日本のジオポリテイクス

3.現代地理学の課題、問題点;ジオストラテジ

討議

 

 駒澤大学教授・一つ橋大名誉教授の竹内啓一氏をお呼びして地政学から見た日本の役割について話しを聞いた。戦前の日本の地政学は、軍国主義に組すると否定的な評価を受けてきたが、京都学派に見られる神懸り的なものを除けば、十分理論的であった。マルチカルチャリズムは、サイードのオリエンタリズム(植民地主義へつらなるもの)に対抗できる。

 戦後の日本の資本進出は、アジア各国の特権階級の支配と結びついたものとなり、反感を呼んだ。ソフトウエアを含め水平分業をアジアで追求すべきである(ジオストラジイも)。

国際労働力の移入も考えるべきである。アジアの中で「イメージ距離」を克服する地政学的想像力が重要である。

 議論になって、グロバリゼーションは、世界各国の反発を呼びつつある(シアトルのWTO会議での民衆の反対運動など).日本は、どう力を持つべきか。国際交通の発展は、アジア1日交通圏を可能にし、経済・文化の水平的統合が表に出てくる。一方、国際都市単位のジオポリテックスもヨーロッパでは、主張されてきていることも注目すべき。

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第3回;環境問題と地政学(平成12年2月3日)

講師;米本昌平氏

1.科学研究と国際政治;冷戦下科学の特徴とその影響

1)「20世紀はアメリカの世紀」の意味

2)科学研究と国際政治の融合

3)欧州における環境外交からの教訓

4)地政学から見た日本の立場

2.環境外交

3.東アジア酸性雨モニタリングネットワーク

討議

 

 三菱化学生命科学研究所の米本昌平氏(東京大学客員教授)をお呼びして「科学研究と国際政治」とくに環境外交について話を聞いた。「温暖化」の環境外交について、1992年の地球サミット、1997年の京都議定書にいたる経緯を踏まえる。核拡散防止と地球環境問題とは、「脅威一定の法則」に則っており、冷戦停止が地球環境を世界外交の課題として大きくしている。

 外交交渉のプロセスの方が科学の先に回りこんでいる(自然科学と政治の新しい出会い)。コンピュータの設計とプログラムの透明性が従来の交渉事にとって変わってきている。冷戦が終わって、外交団の仕事がなくなって「地球温暖化」の課題が取り上げられるようになった。

 東アジアで見てみると、中国は国内環境悪化を認めており、酸性雨で、冬の日本海側の被害は明瞭である。日本は、対中外交のために韓国人脈を意識して使うなどの環境外交を行うべきでないか。日中関係は、韓国が1992年から中国にネットワーク(人脈)の立派なものを作ったのでこれを経由した方が、新鮮でいい。

 議論になって、鶴見川の自然を回復する運動など実践もやっていて、都市河川は下水処理水で流水としているが、清潔である。デーゼル大気対策など日本の都市の環境はそこそこ世界に誇れるものである。モンゴルに1国の環境保全を日本で責任持つ(研究プログラムを作るなど)というのは、日本の外交の柱になる。コスタリカをアメリカが支えるように、日本はモンゴルの環境保全を支えるといった環境外交もあろう。アメリカの「人権第一」と同じように日本は「環境第一」で押して行く。

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第2回;アジアとその地理(平成11年11月26日)

講師;岩田修二教授

1)はじめに   東アジアの分け方など

2)ヒマラヤ・チベット山塊形成とモンスーン発達のシナリオ

3)氷期―間氷期サイクルと氷期の気候環境

4)完新世の気候変化と人間による環境改変

討議

 

 都立大学の岩田修二教授をお呼びして地形学の立場から東アジアの地形と環境についての話しを聞いた。東アジアにとってヒマラヤ・チベット山塊が重要である。モンスーンと偏西風があり、夏のモンスーンは、チベット高原の熱源のための強められる(モンスーンアジア)、冬のシベリア高気圧は、この山塊があって強められている(日本の冬風は、世界最強)。今でもチベット高原に積雪量が多いと旱魃がおきやすいとか、の影響がある。

 ヒマラヤ・チベット山塊形成とモンスーンの完成は、60万年前くらい。氷河期―間氷期のサイクルで、数万年前には130メートルくらい海水面が下がっていた。1万年前位から、森林破壊など人為的植生改変が起こっている。例えばネパールの森林破壊は、10世紀ころから始めまったものである。中世温暖期(8‐13世紀)には、大きな帝国が多数出ており、温暖期には人類の活動も活発になるかも。

 議論になって、「地球温暖化」は科学的根拠はないのではないか。一方、間氷期は終わり氷期に入るとしているところ。インド洋の海底の状況解明についてアメリカ海軍の調査(潜水艦の隠れる場所のためとか)が大きな貢献をしているが、日本にはこのような役割を果たす機能がない。砂漠の緑化は、水を多量に必要にするので、どかで水が足りなくなる(カスピ海が干上がるとか)。中国の砂漠の状況には関心が強い。

 中国は、チベットを何のために集中的に調べているのか。例外的に多額の予算をつけて調べ1980年にその成果を世界に喧伝した。地球物理学的な研究は弱い。東南チベットは森林資源が豊富ということもある。漢化対策が進んでいて、チベット民族だけではやっていけなくしている(大麦を小麦に転換など)。ラサも本土からの補給は欠かせない。タクラマカン砂漠にも中国の関心は高い。

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1;地政学の現況(平成11年10月7日)

講師;高木彰彦氏

1.地政学の定義

2.地政学の起源と発展

3.最近の地政学

討議

 

 九州大学の高木彰彦教授をお呼びして、地政学の現況について話を聞いた。地政学が、戦後の抑圧された状況から再び、注目を集めるようになった。オロッコリンの「地政学事典」も訳書が発行されようとしている。各国にそれぞれ地政学があるわけだが、世界システム論的地政学、批判地政学が最近の新しい流れである(アメリカで流行っている)。

 ハウスホーファーは、ドイツの地政学の祖だが、日本に滞在したこともあり、わが国の地政学に強い影響を与えてた。日本にも当然に国民性があり欧米の地政学の流れから、独自の動きも出来かかったが(京都学派など)、敗戦により途絶えた。現在、地理認識の違い(国民的偏り)を弁えて相互理解を図るべきだ。ヨーロッパのように歴史教科書の相互批判とか、アジアでも必要だ。

 議論になって;京都学派と神道との関係(皇道主義)のようにわが国の地政学は、精神論が強く、せいぜい裏に回って軍事戦略に多少の協力をしたくらいである。ここにきて国際政治論と地政学の結びつきが問われる場面が世界的に出ている(キシンジャーに始まる)。ただ、日本の大学で「地政学」という講座はない(防衛大では国防地理学)。

 サイードのオリエンタリズムに議論が及び、西洋の理論は普遍的、だからオリエントで何でもしていいのだ、自分たちと同じ「主権」の押し付けとなり、植民地主義になった。

植民地主義への批判(アフリカの国境は列強が勝手にひいたことへの反省)となった。

 日本の現代の国益とは、なにか、で終わった。

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