社会資本整備の思想と国づくり

山本 基

 

1.思想なき社会資本整備論議

■「必要な道路」論議

 道路特定財源の見直しをめぐり、道路整備についての議論が行われ、政府・与党は昨年12月に「真に必要な道路はつくる」という方針を打ち出した。これを受けて、国土交通省は道路整備中期計画を発表し、事業量を59兆円とした。

 10年間に59兆円という事業量を示したこともあり、無駄遣いだとの批判のもと「真に必要な道路」とは何かについての新聞報道が行われることになった。マスコミ報道の主流は、無駄を省け、効率を重視せよという論調である。熊しか通らない道をつくってどうするのか、ゼネコンを儲けさせ政治家が献金を受けるために道をつくっている、もう日本国中に道路は整備されていて地方に道路は必要ない、そのお金があるなら都会の道路の混雑緩和に役立てるべきだなどという報道が続くことになった。

一般の住民は多くの情報をマスコミを通じて入手するため、こうしたマスコミ報道により世論は誘導されることになった。

 

■効率重視の社会資本整備

 小泉・竹中両氏が日本の経済財政運営の舵取りを行うようになって以来特に、効率重視の考え方が支配的になった。

効率を重視すると、人口が多く交通需要が多い大都市では投資効率が高いために道路が整備されるが、人口が少なく需要が少ない地方では道路が整備されないことになる。これは道路整備だけではなく、河川でも同様である。

利根川、淀川では200年に一度の洪水確率で堤防整備が行われ、東京、大阪など大都市を洪水から守るための対策が進められているが、同じ一級河川でも地方ではまだ治水安全度が1/10に達していない地域も多い。それにもかかわらず、効率重視の考え方に基づいて、洪水対策としていつできるか分からない山奥のダムをつくるよりも、都市河川の堤防整備を充実させるべきだなどという社説が新聞に掲載されることになる。

 

■費用対効果の議論は手段

 費用と効果を計算して投資効率を計る手法は比較しやすく、役所内での事業の順位づけや議会での説明時には一定の説得性を持ちうると考えられる。しかし、そもそもその手法は、数字に表せない大切なものは評価せずに、計測可能な項目だけを設定して、限られた条件のもとで数値化して比較しているに過ぎないのである。

 しかも、費用便益分析は一つの手段に過ぎないにもかかわらず、B/Cが唯一絶対の指標であるかのように扱われ、B/Cが2.0あるから○、0.9だから×などと言われるようになっている。

 限られた予算を有効に使うためには、投資効率の良い道路・河川の整備が重要であるという主張は一見もっともらしく聞こえるが、これは目的と手段を取り違えている。「必要な道路」とは、投資効率を高い順に並べて順位の高いものを言うのではなく、日本のあるべき国の姿にとって必要な道路のことであると考える。

 

2.東京に出てきて感じたこと

 昨年まで大阪に20年以上いて、この間、紀伊半島や四国などを中心に道路や河川の調査研究をしてきた。東京に出てきて感じたことは、東京をはじめとする首都圏だけは日本の中で別の歯車が回っているのではないかということだった。

 

■紀伊半島の道と地域

紀伊半島や四国では、国道でもセンターラインが引けないどころか、車一台しか通れない国道も数多くある。以前、紀伊半島の道と地域の関わりを歴史的に分析したことがあるが、人の流れが道をつくり、地域を活気づける、その一方で人の流れが少なくなると道がすたれ、地域の活気が失われるというように、人の流れと道と地域づくりの間には密接な関連があることが分かった。今のまま道路整備をしなければ、地域がますますすたれることになる。都会に住んでいる人は、山奥に人が住んでいると行政効率が悪いので、町に下りてきてもらえばいいと、「コンパクトシティ」論を展開する。

都会に住んでいる人にとっては理解しにくいと思うが、それぞれに事情があって一人あるいは一家離れて住んでいるのであって、沢から水を引くのも、道路をなおすのも自分たちでやっている家族を私は知っている。机上で考えるように、あっちの家、こっちの家をここにまとめて効率よくしようなどと簡単にはできない。

道路や河川の整備は、人々が幸せに暮らすための基盤である。効率だけで考えて良いものではない。しかし、山奥にまで都会と同じ尺度で効率性を求める人がいる。日本人はそれほど他人をいたわらない、思いやりのない人間になってしまったのかと思う。

 

■圏央道周辺の地域

 一方、東京に出てきて圏央道の仕事に関わらせてもらった。圏央道は東京を取り巻く三環状道路の一つで、都心から40〜60km圏内に10年間に300kmを供用するという目標宣言プロジェクトである。東京都心部の渋滞問題・環境問題の解決を図るとともに、総合物流施策大綱の中で謳われているように準国内化した東アジア物流のシームレス化を推進する一つの基盤にもなりうると期待されている。

 圏央道沿線地域は、都心から40km〜60kmという近さにもかかわらず。これまで交通が不便なために開発が行われてこなかった地域であり、ここに交通利便性が高まる圏央道が供用されることになれば、人やものの流れが増え、地域が活性化されることとなる。

 圏央道をはじめ三環状道路の整備により首都圏エリアを開発することにより、日本を牽引するという考え方のもと、短期間に圏央道などに集中的な投資が行われている。これは国づくりの一つの考え方がベースに描かれており、道路投資の望ましいあり方であると考えられる。

 

■回転を増す歯車と止まりそうな歯車

 しかし、紀伊半島や四国の道路と、首都圏の道路を比べて、私はあまりにも違いが大きいと感じる。紀伊半島や四国では、国道でも対向車がすれ違えないので、せめて1.5車線の道路を整備したいと考えても、財源は国が握り、なかなか進まない。一方、首都圏では、国策として目標宣言しながら圏央道を急ピッチに整備している。圏央道の整備効果の一部は国税として吸収して、地方にもいずれ再配分されるとしても、それが紀伊半島や四国の1.5車線道路の整備に直結するわけではない。

 限られた資金を最大多数の最大幸福のために使うことは理解できるが、効率性の名の下に、圏央道沿線地域のようにますます回転する歯車がある一方で、紀伊半島や四国のようにますます回転数が減っていって今にも止まりそうな歯車が併存する日本の姿を見るに忍びない。

 

3.インドネシアで感じたこと

■高速道路よりも水面が高いエビ養殖場

 2月に国際協力銀行の円借款パートナーシップセミナーに参加して、インドネシアを訪れた。この時、インドネシアで感じたことの一つは、日本の社会資本整備はずいぶん高コスト構造になっているということであった。

 例えば、ジャカルタ市内とジャカルタ空港を結ぶ高速道路沿いにはエビの養殖場があるが、この養殖場の水面は高速道路の路面よりも高いため、毎年雨期には1、2m水没する。私の滞在中にも水害があって、空港から市内まで通常1時間のところ7時間もかかったことがあった。高速道路の路面よりもエビの養殖場の水面が高いのは、高速道路が沈下したためという説明を受けたが、日本なら、高速道路を土盛りするか、高架にして水害時に水没しないというような対策を講じることになる。インドネシアの場合には、水害にあった時には住民から文句は出るが、そのうち水が引くのでそれほど大問題にはならないという。

 

■ダムの建設費用は日本の1/10

 また、南スラウェシュ州のポンレポンレダムでは、ダムの建設費用は日本の10分の1で済むとの説明を聞いた。これは日本のダム建設の高コストとインドネシアのダム建設の低コストの両方を示していると感じた。人件費や資材等の価格は当然違いがあるが、これ以外にも大きな違いがあった。例えば、インドネシアのダムでも環境アセスメントを行うという話を聞いたが、実際にはダムの下流にある堰には魚道はない。日本では川の流れを堰き止める横断構造物をつくる際には、さまざまなタイプの魚道の試験を行い、環境の専門家、市民団体なども交えて検討し、最適な魚道をつくるのが当たり前になっているが、インドネシアでは環境アセスメントが形式的になっており、こうした状況の違いが日本とインドネシアのダム建設費用を10対1にしている一因だろうと思う。

 

■高コストの日本の社会資本整備

 日本とインドネシアでは国の状況も経済の発展段階も人々の考え方も違うことは分かるが、インドネシアでは、国や地域を発展させていくために、小さなことに拘らずに、みんなである程度同じ方向を向いていると感じた。そこでは、一つの事業のB/Cがどうのこうのではなく、「どんぶり勘定」で社会全体が豊かになることが目標となっている。

 これに対して、日本の場合には、ある程度経済的に豊かになる過程で、それまで個人や地域でやってきたことを行政に任せる傾向が強まり、行政に権限と責任が集中してきた。このことにより、住民は税金を払っているのだから行政にあれやれこれやれと言うし、行政は住民からできるだけ文句を言われないように先回りして、100年、200年に一度の洪水でも道路が水没しないように対策を講じ、何種類もの魚道をつくるなどして、結果として高コストの社会の仕組みをつくっている。

 民主主義には時間とコストがかかるというようなことでは済ませられないと思う。もっと住民、地域のレベルで負担することにより、あるいは住民が行政を追求するだけでなくある程度のところで割り切ることにより、日本では社会的なコストを引き下げることができるのではないかと感じた。

 

4.日本のあるべき姿を目指した社会資本整備

■効率性に救いを求める国の姿勢

 道路やダム建設などの社会資本整備は、財政の逼迫、環境意識の高まりなどの状況下で、「無駄遣いの象徴」としてマスコミ等に叩かれてきた。一部マスコミの恣意的な公共事業批判などにも先導され、住民には「公共事業=悪」というイメージが刷り込まれていった。こうした中で、行政はマスコミや住民の批判を避けるために、誰にも一目瞭然で分かる「効率」や「数字」で社会資本整備の進め方を説明したいということかも知れない。そうだとすれば、もう一度何のために社会資本整備をするのかを考える必要がある。

 

■社会基盤整備は国づくりの基盤

 本来、社会資本の整備は効率の視点だけで考えられるべきものではない。社会資本整備は地域づくりの基本であり、地域に住む人びとが幸せに暮らすための基盤づくりである。人口が少ない、需要がないから地方の道路・河川に投資をしないとすれば、ますます地方の地域づくりの基盤は脆弱になり、過疎化が進行して、地方と大都市との格差は拡大していくことになる。日本の国づくりを考えるとき、大都市だけが栄え、地方が衰退する姿は望ましいとは言えないと私は考える。

 大都市だけに人口を収集し、地方は切り捨てるということは現実には不可能である。大都市にだけ集中投資をするのに比べて、地方にも投資をすることにより、効率は一時的に低下するかも知れないが、地方に投資することにより、地方の地域づくりが活性化され、長期的に見れば日本全体の発展につながる可能性がある。

 

■こういう国をつくるという思い

 今、社会資本整備に求められているのは、効率や数字に基づく論理ではなく、日本の将来の国づくりを目指した考え方である。今のままでは国民に思いが伝わらない。「日本の国をこうしたい、だからこのような道路整備をする。」ということを、国民が納得するように説明することが大事である。これまで叩かれてきたマスコミを活用することも重要である。

圏央道を進めるに際して、東アジアとの連携を進め、日本を発展させるためには、京浜港、成田空港といった国際物流拠点の機能強化を図るとともに、これらの国際物流拠点と内陸部を結ぶ圏央道が必要であると説明するのと同様に、地方の道を進めるに際しても、たとえ人口が少なくても、交通量が少なくても、地域に住むお年寄りや幼児が緊急時に必要な道路をつくる、あるいは災害時に地域が孤立しないように代替路を確保する必要があると、国民に対して説明し、納得してもらうことが必要である。これは政治だけの仕事ではなく、国の行政の仕事でもある。

 「君子は義に喩り、小人は利に喩る」と言う。国は、短期的に効率や数字だけを重視するのではなく、地域に暮らす人を思い、日本の国の将来を見据えて「こういう国をつくる」という思いで社会資本整備を進めていくことが重要であると考える。

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