効率性の追求と社会全体の利益

〜水文観測員制度の廃止を例として〜

山本 基

1.はじめに

2.四国の水文観測員との出会い

3.水文観測員ヒアリングで感じたこと

4.水文観測員制度の廃止が教えること

 


1.はじめに

水文観測員とは、河川管理や治水計画、防災監視等のために、毎日一定の時間に、一定の場所で、河川の水位や雨量、地下水位等を観測する人のことである。

 建設省では昭和20年代前半から、各地域の観測地点近くの信頼できる人々に委嘱して観測を続けてきた。しかし、近年、水文観測機器の精度の向上や電子情報配信化等を背景として、人件費が嵩む水文観測員制度を廃止して機械化する議論が行われ、平成15年12月末をもって人による観測制度が廃止された。解職となった水文観測員の数は全国で1,700人ほどであった。

 ここでは、水文観測員制度の廃止を例として、効率性の追求や数字だけの評価が必ずしも社会全体の利益に結びつかないこと、行政は住民の力を活用することが社会全体の利益にとって重要であることについて考察する。

 

2.四国の水文観測員との出会い

 私は、水文観測員制度が廃止される直前の平成15年の夏から秋にかけて、四国の水文観測員と会い、ヒアリング調査をする機会を得た。

 自宅等におじゃまして、水文観測を始めたきっかけ、毎日定時に観測することの大変さ、台風や大雨の時のご苦労、観測していて嬉しかったことなど水文観測にまつわる話だけではなく、周囲の山や川の変化の様子、動物や植物の話、子どもの頃の思い出、遠くに住んでいる家族の話など、四国の自然とのふれ合いの中での人々の暮らしぶりについても話を聞くことができた。この1ヶ月間誰とも話をしなかったと言って、私と話すことを喜んでくれた山奥に住む老女の笑顔も忘れることができない。

 四国の水文観測員約200人の話は「四国水文観測体験集〜四国の川を見守り続けた人々の記録〜」(四国地方整備局)として発行されている。

 出会った人々の話の多くは今でもその場面とともに記憶しているが、特に印象深い話の一部を以下に紹介する。

■高知県大正町で雨量観測と水位観測をしていた夫婦の話

「水位は午前6時と午後6時に、雨量、風向、風力などは午前8時に観測しています。

 一番大変だったことは留守にできんことです。どうしても二人で出かけないといけない時には家内の妹に頼んでやってもらいました。そういう助けがないと、40年もできませんでしたね。

 朝はひやいし大変でしたが、流域の治水と環境保全のための資料になる大切な仕事なので、これはおろそかにできないと責任を感じました。流域の人たちの幸せにつながるものならと思ってやってきました。」

高知県中村市で水位観測と地下水位観測をしていた夫婦の話

「朝6時、晩6時に毎日見よります。子ども(息子と娘)二人を京都の大学に通わせるために、僕と女房が二人で牛乳配達やることになって、牛乳を配りながら水位を見に行きました。その時は大変やったね。息子は高校生の時には土方のようなアルバイトをしてくれたし、娘も中学3年生から高校まで水文観測と新聞配達をしてくれた。娘はアルバイト代を残してくれて、大学に行く時に『このお金を送ってくれたら、京都でバイトしてでも学校に通うけん』と言ってくれたけん、僕らも助かった。」

 

3.水文観測員ヒアリングで感じたこと

 水文観測員へのヒアリングを通じて感じたことを整理すると、以下のとおりである。

@観測員は、毎日責任感を持って観測していた

毎日観測することは大変なことであるが、観測員は観測時間の5分前には必ず観測場所に行くとか、観測の時間を気にしながら生活するとか、観測があるために旅行に行かないなど、責任感を持って観測をしていた。

A観測員は、観測に生きがいを感じていた

観測員は毎日観測を続けることにより、観測することが日課になっていたが、観測を通じて地域に貢献することに喜びを感じたり、世の中のために役立っていることに誇りを感じるなど、生きがいを感じて観測を続けていた方も多かった。

B水文観測は、地域の人を川や水に近づけていた

観測を始めるまでは川や水に特別関心のなかった人も、観測を始めてから雨の降り方や雨音を聞いて雨量がわかるようになったり、水位を測るのを楽しみにしたり、川の汚れに関心を持つようになっていた。また、小中学校では、水文観測をしている生徒は気象への関心が高いという先生の指摘もあった。観測は人を川や水に近づける役割を果たしていたことが分かる。

C観測は家族、親戚ぐるみで行われていた

観測員の方が出かける時には、家族や親戚、近所の人などに観測を頼んでいる場合が多かった。観測がいろいろな人の協力のもとで行われていた。観測を通じて川や水への関心の輪が拡がっていたとも言える。

D表彰は、頑張っている人の励みになっていた

所長表彰、局長表彰、大臣表彰、叙勲などは、水文観測にご苦労いただいている観測員にとって誇りであり、一層の励みになっていた。感謝の気持ちを形で表すことの重要性を示している。

E観測員には、観測の経験や知の蓄積がある

観測員には、長年の観測の経験と雨量や水位だけでなく、天気、気温、風向、風力など地域の気象情報の蓄積、さらには経験則に基づく勘もある。また、自主防災組織づくりや地域のボランティア組織づくりなどに関わっている人もいた。観測員は国土交通省にとって有益な情報源である。

F観測員と国土交通省とのふれあいがなくなっていた

観測員からは、昔は建設省との関わりもあったが、今は点検の業者の人が来るだけで国土交通省との関わりはないと言われた。せめて1年に1回でも国土交通省の職員が出向いて、顔の見えるおつき合いができれば良かったと感じられた。

G人による観測には、経済効率性を超えた大切なものがあった

観測データの記録という面だけを考えると、経済効率性や確実性の点で機械による自動観測の方が人による観測よりも優れているかも知れないが、人による観測の場合には経験則に基づく勘や、川への思いを人に伝えることなど、機械には真似ができない大切なものがあると感じられた。

H観測員は「川の応援団」であった

観測員は、川のこと、水のこと、地域のことを観測して人々に伝える「川の応援団」であった。利害関係がない人とこれほどつながりを持っている役所は国土交通省のほかにはないのではないかと感じられた。

I国土交通省は観測員経験者とのつながりを川づくりに活かすべきである

水文観測員制度は終わったが、折角これまでつながりを持ってきた水文観測員との関わりをなくするのは国土交通省にとってもったいない。これからの川づくりに観測員経験者とのつながりを活かすべきである。

 

4.水文観測員制度の廃止が教えること

 水文観測員制度の廃止は、以下の2つのことを教えている。

■社会全体の利益を考えること

 一つは、一面的な効率性の追求は必ずしも全体の利益につながらず、むしろ全体の非効率を生むということである。水文観測を人の手から機械に置き換えた理由は、経済効率性や確実性の向上である。しかし、人による水文観測の場合には、ただ単に観測データの記録を採るというだけではなく、前述のとおり経験則に基づく勘や川への思いを人に伝えることなどの他に、観測員自身が世のため人のために役立っているという「生きがい」を感じることができることや、規則正しい生活習慣により「健康づくり」にも役立っていることがもっと重視されるべきであると考える。

 最近大きな問題になっている高齢者の医療・年金問題について言えば、厚生労働省はお金を「あげる」立場で、受給者はお金を「もらう」立場である。しかし、水文観測のように、観測員は観測を通じて「世のために貢献する」、それに対して国土交通省は「正当な報酬を支払う」という形での生きがいづくりや健康づくり政策を重視した方がいいと考えられる。

 例えば、観測員の報酬が平均月1万5千円であるとすると、年間18万円(1.5万円×12月)である。四国の観測員数が200人だとすると、年間3,600万円(18万円×200人)である。この3,600万円は国土交通省の水文観測のための費用としては大きな金額かも知れないが、厚生労働省がお金をばらまいたり、施設を建設したりする費用から見たら、それほど大きな金額ではないと考えられる。しかも、生きがいや健康づくりの面では、観測員への報酬の方が効果的なお金の使い方になるのではないか。

 データを観測するという水文観測員の仕事の一面だけで考えると、人の手から機械に替えた方が効率的であるのかも知れない。しかし、観測員の仕事は世のため人のために役立っている、国土交通省にとっても地域とのつながりという面で大事である、さらに観測員自身の生きがいや健康づくりにも貢献しているなど、いろいろな面を考え合わせると、簡単に割り切れるものではない。本来は、国土交通省、厚生労働省などの役所の垣根を越えて、もっと大きな視点で地域の人のために有効にお金が使われることが望まれる。

■住民の力を活用すること

 もう一つは、行政だけでやるのではなく、住民の力を活用することが社会全体の利益にとって大事だということである。これまで地域の一部の住民が担っていた水文観測の仕事を、効率化の名の下に行政が囲い込むことは行政の肥大化の一例である。行政としては、住民との関わりを持たずに行政だけで仕事をする方がやりやすい面があるのかも知れないが、住民側からすると、自らが関わっていないことについては、行政に対して文句を言いやすくなる。このため、行政は住民から文句を言われないように、先回りして対策を講じたり、逃げ道を探すなどして、ますます行政と住民の間の距離が離れていくことになる。

 防災の分野では、自助、共助、公助という言葉をよく使う。大規模な地震、水害などの自然災害を前にしては、行政の力だけでは人の命や財産を守ることはできない。このため、家庭、地域、行政が一体となって自然災害に対応していくことが重要であると考えられている。

 課題に対して行政だけではなく、家庭、地域と一体となって取り組むことは、防災の分野だけではなく、社会資本整備などさまざまな行政分野で適用されるべきであると考える。これまであまりにも行政が仕事を抱え込みすぎたことが行財政を膨張させ、行政と住民の距離を拡大させて、住民による行政に対する不信感を醸成させてきた一因でもあると考えられる。

家庭、地域、行政にはそれぞれが担うべき仕事があるが、お互いに協働して対応すべき仕事もある。行政だけが仕事を囲い込むのではなく、もっと住民の力を活用することが社会全体の利益にとって重要であると考えられる。